Turing land と Duchamp land
アートワールドにおける離島、Turing land と Duchamp landの対立
Turing land:テクノロジーアート界隈
ヤシャ・ラインハート、Cybernetic Serendipityのキュレーションや後続の展示
そこで扱われたBenseのシュトゥットガルト学派(NakeやNees)やBellLab (Michael Knollら)のプロッターアート
EATなど芸術運動に結びつく気配もあった
フルクサスからのDumbTypeなど
科学研究におけるDemoと未分離
興行に回収可能
Duchamp Land:デュシャン以降の現代芸術界隈
ポップアートやコンセプチュアル・アートの成功
当時の美術界・哲学界が盛んに擁護した
ダントーやボリス・グロイスのポップ・アート擁護
センセーショナルに値がつくことのマッチポンプ
NYCギャラリーとグリーンバーグの苛烈な批評シーン
Turing Landの空中分解
アート・ワールドに積極的に与していくという態度は霧散していった
CTGもEATも
優れた作家は、エンジニアとして、商業作家として活躍できた
資本的な供与基盤であるIBM、AT&T。このデモや広告をつくる側面
研究と産業に関わったJohn Whitney、Ed Catmull
今だとGoogle
Turing LandはDuchamp Landに憧憬がある?
「テクノロジー・アートは「アート」と認められなかった」というような意識がプレーヤーの中にあるのでは
実態としては「別の道があった」
エピソード
Michael Knoll
「ブリジット・ライリーの絵、コンピュータ使うとこんなにうまくかけまっせ」
「は?」
ベンゼ「定量的に美は測れます」(美的尺度)
ボイス「ものが価値を生む、下からの美学」
CTGの解散
技術側(槌屋ら)とアート側(幸村ら)の態度の不一致